森・手仕事・知が編む、ひとつの植物の系譜: ketak

ケタック(Ketak)とは何か

ケタック(Ketak)は、古くからロンボク島の暮らしに寄り添ってきた植物です。しかし、その存在は一つの島にとどまるものではありません。東南アジアの熱帯域に広がる自然環境の中で、ケタックは人と土地、そして時間を静かに結び続けてきました。一見すると素朴な天然素材に見えるケタックですが、その背景には、地域や時代を横断する生態的・文化的な連なりがあります。植物の生物地理的な広がりに目を向けると、ケタックがいかに多様な自然環境と物質文化のあいだを行き交い、受け継がれてきたかが浮かび上がります。カユ・ケタック(Kayu Ketak)は、単なる植物素材ではなく、適応や交流、そして世代を越えて蓄積されてきた知恵の痕跡そのものです。こうした重層的な物語が、今日のロンボクにおけるケタックの位置づけを形づくっています。

また、この広い文脈を理解することは、資源の利用と生態系の保全という、繊細な均衡について考える契機にもなります。ケタック工芸がもつ美しさや経済的価値は、植物の持続的な供給と切り離して語ることはできません。その背景には、採取する人と編み手たちが、長い時間をかけて育んできた慎重で意識的な関係性があります。大陸規模で広がる植物の旅路そして、伝統と持続可能性のあいだで保たれてきた調和。これら二つの視点が、ケタックという素材を理解するための静かな導入となるでしょう。

Lygodium circinnatum(リゴディウム・サーキナータム)は、丈夫な繊維と伝統的な薬用価値で広く知られるつる性シダ植物です。

土地に根付く名、世界で知られる種

インドネシアにおいても、ケタック(Ketak)という呼称が日常的に共有されているわけではありません。植物が生活と密接に関わる地域の出身者でない限り、その名に触れる機会は限られています。本サイトでも触れている通り、ケタックとはロンボク島で用いられてきた地域名であり、植物学的にはLygodium circinnatum(リゴディウム・サーキンナタム)として知られています。学術文献においては、同一の植物に対して複数の学名―いわゆるシノニム―が記録されており、その体系はキュー・ガーデンズの「Plants of the World  Online 」においても確認することができます。こうした事実が示すのは、ケタックという存在が、単なる地方素材ではないということです。それは、長年にわたる植物学的研究の中で認識されてきた一種に対して、人々が土地固有の言葉を与え、呼び継いできた名称でもあります。 学名と方言名、そのあいだに横たわる距離こそが、ケタックのもつ文化的な奥行きを静かに物語っています。

今日、ケタックはロンボク島との強い結び付きによって語られることが多い植物です。しかし、Lygodium circinnatum は島固有の存在ではありません。その原産域は、熱帯から亜熱帯のアジア一帯、さらに西太平洋地域にまで及んでいます。森林に生育するシダ植物である本種は、植物分類の中では目立たない存在かもしれません。それでも、人の暮らしの周縁で、長い時間をかけて実用・食用・薬用として受け入れられてきました。若い葉は、インドネシアやマレーシアの一部地域で野菜として食され、しなやかで紐状の葉軸は、東南アジア各地において帽子や籠、箱、敷物、稲束を結ぶ紐へと姿を変えてきました。フィリピンでは、乾燥させた茎が ニトー(Nito) と呼ばれ、伝統工芸を支える素材として今なお用いられています。こうした地域ごとの形や用途の違いは、植物そのものの性質だけでなく、土地の環境や文化的実践が複雑に織り重なって生まれた結果と言えるでしょう。

大陸に広がる植物とその物語

リゴディウム属(Lygodium)が広く分布する地域では、植物の用途や象徴性は土地ごとに異なりながらも、共通する自然環境への親密な感覚を介して、どこかで響き合っています。
インドネシア、マレーシア、フィリピンの多くの地域では、この植物の茎や葉、根が、伝統医療の中で受け継がれてきました。傷の手当、解熱、火傷の湿布、虫刺されや皮膚疾患のケアなど、その用途は日常の身体感覚に根ざしています。さらに視野を広げると、ベトナム、ネパール、パプアニューギニア、コートジボワール、コロンビアといった地域においても、近縁種が治療や儀礼、あるいは特定の精神文化と結びついた混合物の素材として用いられてきたことが知られています。地理的にも文化的にも隔たったこれらの土地で、同じ植物が異なる役割を担ってきたという事実は、人と自然の関係がいかに柔軟で創造的であったかを示しています。

こうした多様な利用のあり方は、ひとつの共通した物語へと収斂していきます。すなわち、人々は大陸を越えて同じ丈夫なシダ植物に価値を見出し、それぞれの暮らしに応じて、食材、繊維、薬、儀礼具へとその姿を変えさせてきたということです。この類似性は、ロンボクにおけるケタック工芸が、リゴディウム属をめぐる、より広い地域的伝統の一部であることを浮かび上がらせます。それは、人間の創意と自然素材の可能性が交わりながら続いてきた、長い対話の一断面でもあります。

利用と保全の両立

当社の提携職人の多くが暮らすロンボク島において、ケタックは今なお価値ある地域資源として位置づけられています。インドネシア38州のひとつである西ヌサトゥンガラ州(NTB)全域の野山に自生し、かつてバリ州や東ヌサトゥンガラ州とともに「小スンダ列島」と呼ばれてきた地域の自然と文化の一部を成してきました。観光を取り巻く環境が大きく変化した現在においても、ケタック工芸はこの地域に共通する文化の糸として受け継がれており、その編みの伝統はバリをはじめとする周辺地域にも息づいています。一方で、ケタックの価値が広く認識されるにつれ、その利用のあり方は地元の林業当局や研究者からも注視されるようになりました。需要の高まりは、採取が自生地の生態的な均衡を損なわないよう配慮する責任を、同時に伴います。研究者や保全の専門家は、地域主体による栽培や持続的な採取の重要性を繰り返し指摘しています。というのも、Lygodium circinnatum は、森林の構造や再生過程において、見過ごされがちながらも重要な役割を担う植物だからです。

伝統、生活、そして生態系の回復力。そのあいだに均衡を見いだすためには、丁寧で長期的な取り組みが欠かせません。近年では、職人、採取者、行政、研究者が立場を越えて関わり合う協働の枠組みも生まれつつあります。 ケタック工芸の豊かさは、技術や意匠だけで成り立つものではありません。それは、森そのものの豊かさにに支えられているのです。

ケタック:工芸、生態、そして地域知の持続

ケタックは、単なる工芸素材ではありません。それはロンボクを広大な生物地理圏へと結びつける一本の糸であり、文化を越えて共有されてきた物語の媒介であり、技術・記憶・生態的理解によって支えられてきた知の体系そのものです。編むこと、食すこと、癒すこと、祈ること、そうした行為を通じて、ケタックは人々の生活の深層に根を張り、東南アジアから太平洋地域へと連なる多様なコミュニティとつながってきました。

現代のクラフトやデザインを通じて、ケタックが国際的な注目を集めるいま、その未来は、私たちがいかに持続的な採取と栽培のあり方を選び取れるかに委ねられています。植物が担う生態的な役割を守ることは、職人や森林のコミュニティが世代を超えて受け継いできた知と技を守ることにほかなりません。ケタックを尊ぶという行為は、工芸そのものを愛でることにとどまりません。それを育む森、支える土地、そして関わり続けてきた人々への敬意を含んだ、ひとつの選択なのです。

参考文献

Cicuzza, Daniele. 2020. “Lygodium Circinnatum (Burm.f.) Sw. Lygodiaceae.” In Ethnobotany of the Mountain Regions of Southeast Asia, edited by F. Merlin Franco. Ethnobotany of Mountain Regions. Springer International Publishing. https://doi.org/10.1007/978-3-030-14116-5_64-1.

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